SNSの普及に伴い、特定の思想や価値観を先鋭化する現象が増加しています。SNSのアルゴリズム(*1)はバイアスの強化を促進する傾向があり、「フィルターバブル」(*2)や「エコーチェンバー効果」(*2)と呼ばれるメカニズムがその典型です。
歴史的に見ると、ナチス・ドイツは当時の技術やメディアを駆使して、同様の効果を生むプロパガンダ戦略を展開しました。党の思想や価値観だけが広く共有される状況は「フィルターバブル」に類似しており、言論弾圧や検閲を通じて異なる意見を排除することで、「エコーチェンバー」的に特定のメッセージを繰り返し伝える仕組みを作り上げたのです。
このような事例を挙げるまでもなく、特定の思想や価値観が極端に偏ると、それに基づく「バイアス」が強化されます。例えば「特定の国は優れている」という価値観の先鋭化は「他国は劣っている」という偏見(バイアス)に発展します。バイアスとは、公平性を欠いた偏見や歪み、先入観を指し、それが意思決定や行動に大きな影響を与えます。事実(正確なデータ)や現実に基づいていないため、正しい結果を導くことはできません。
■バイアスの種類と影響
バイアスには主に以下の種類があります。
1.確証バイアス(Confirmation Bias)
-自分の信念や先入観を支持する情報ばかりを探し、反証する情報を無視する傾向のこと。
-例: 「この人は怠け者だ」という印象を持つと、その人の努力を無視しやすくなる。
2.ステレオタイプバイアス(Stereotype Bias)
-特定のグループに属する人々について、一般化されたイメージを適用する傾向のこと。
-例: 年齢、性別、職業に基づく固定観念が他者の可能性を見過ごす原因となる。
3.アンカリングバイアス(Anchoring Bias)
-最初に得た情報に基づいて判断し、その後の情報を過小評価する傾向のこと。
-例: 初対面の印象に固執して、その人の成長や変化を認識できない。
4.現状維持バイアス(Status Quo Bias)
-現状を維持しようとする傾向のこと。
-例: 関係や環境の変化を恐れ、新しい視点や可能性を拒否する。
5.ヘイロー効果(Halo Effect)
-一つの特性(外見や態度など)が全体的な評価に影響を与える傾向のこと。
-例: 好印象を持つ人のミスを軽視し、悪印象を持つ人の成功を過小評価する。
これらのバイアスが、SNSのアルゴリズムの影響によって知らず知らずのうちに強化されているのです。
■バイアスの強い人に待ち受ける未来
バイアスは正しい結果をもたらしません。特にバイアスが強い人には、次のような未来が待ち受けているでしょう。
○視野の狭さによる「機会の喪失」
-バイアスに基づく固定観念が新しい情報や経験を拒むため、成長のチャンスを逃し、停滞します。
○誤った判断による「失敗の増加」
-偏った認識が正確な判断や適切な行動を妨げ、失敗が増加します。さらに責任周囲や環境のせいに転嫁し、悪循環に陥る可能性があります。
○他者からの「信頼の低下」
-偏った意見を押し通すことで、周囲から「話が通じない」「理解し合えない」という印象を持たれ、信頼を失います。
○社会的「孤立」
-異なる意見や考え方を持つ人々との衝突が増え、人間関係が疎遠になり孤立する可能性があります。
○社会的的変化への「適応不足」
-バイアスの強い人は変化に適応できず、特に多様性や公平性を重視する現代では居場所を失うリスクがあります。
○未来世代への「悪影響」
-偏見を周囲に伝播させることで、次世代の視野や選択肢を狭める可能性があります。
これらは個人や組織にとって深刻な課題であり、特にリーダーが強いバイアスを持つ場合、その影響は一層重大です。
■バイアスを排除するたった2つの施策
『貞観政要』(じょうがんせいよう)という、中国唐代の政治書があります。第2代皇帝である太宗(李世民)の治世における政治や統治の経験をまとめた書物で、政治や人材登用、君臣関係、倫理観、国家の運営など多岐にわたるテーマを扱っています。「貞観」とは太宗の治世の元号であり、この時代は唐の全盛期として知られています(内外ともに平和が実現し、安定した統治が行われた結果、唐の国力は頂点に達し、第6代皇帝玄宗による治世である「開元の治」と並ぶ、平和で繁栄した時代となりました)。
この書の素晴らしいところは、一方的な教訓ではなく、太宗が臣下たちと対話し、議論や検討を重ねた結果として提示されている点です。この構造は読者に批判的思考を促すものです。
主な内容は、以下の通りです。
1.君主の役割と責任
-太宗は、自身を「舟」に、人民を「水」に例え、「水は舟を浮かせるが、覆すこともある」と述べました。これにより、君主は人民を尊重し、民意を重視するべきだという姿勢を示しています。
2.諫言(忠告)の重要性
-太宗は魏徴をはじめとする直言する臣下を重用しました。君主が自分の過ちに気づき、是正するためには、臣下が自由に意見を述べる環境が必要であると説かれています。
3.人材登用と適材適所
-国家運営には有能な人材の登用が不可欠であり、個人の出身や地位にかかわらず、才能を重視することが推奨されました。
4.勤勉と倹約
-太宗は「奢侈は国家を滅ぼす」とし、君主自身が勤勉かつ倹約を心掛けるべきだと説きました。自らが模範となることで、国全体の規律が保たれると考えました。
5.歴史の教訓を活かすこと
-歴史を学び、過去の失敗や成功から学ぶことの重要性が繰り返し強調されています。
6.法と秩序の尊重
-法治の徹底を図り、情による判断を避け、公平な政治を行うべきだと述べられています。
一貫して協調されているのは、異なる立場や意見に耳を傾けることの重要性、つまりエコーチェンバー効果の排除です。例えば、「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」という諫言の重要性は、現代でも組織のガバナンスやリーダーシップの分野で不可欠な要素です。偏見や先入観を乗り越える助けになるでしょう。また『貞観政要』は、時代や文化を超えた普遍的な教訓を含んでおり、現代のリーダーがバイアスを乗り越えるためのツールとして非常に有効と考えます。
バイアスの回避・排除に向けた『貞観政要』の教えは、以下の2点に集約されます。
1.謙虚さ
-自分が間違っている可能性を常に意識し、他者の意見を受け入れる勇気を持つこと。
2.コミュニケーション
-自由で開かれた意見交換の場を持つこと。
これらに自ら気づくことが、唯一の突破口となります。
多くの場合、苦境に直面したり、周囲の信頼を失ったりして初めて自分のバイアスの影響に気づきます。その「気づき」があれば、改善の余地は大いにあるはずです。ただし、それが起こらなければ、上記のような暗い未来が待ち受けているでしょう。
心理学や認知バイアスについて学び、自分の判断を意識的に改善していくことで、バイアスによる損失を最小限に抑え、経路依存性から脱却し、より豊かな人生と社会を築く助けとなるはずです。
バイアスによる損失を最小限に抑え、多様性を尊重する社会を構築するためには、心理学や認知バイアスについての知識を深め、自分の判断を意識的に改善していく必要があります。『貞観政要』に学ぶ知恵は、現代においてもなお有効であり、特にリーダーシップを発揮する場面でその価値が発揮されます。
囲碁の世界の話ですが、AIの指導を受けた生徒たちの上達は、人間による指導を受け続けた生徒たちより大きいものだったそうです。生徒によって異なる人間教師のバイアスが、生徒の自信や集中力、学習意欲に大きな影響を与えていたとのことです。バイアスを排除するために、評価や指導にAIを取り入れることの有効性が提唱されています(*4)。謙虚さとコミュニケーションの持つ重要性に「気づく」ための起点としても、AIの活用が求められると考えます。
BBDF 藤本
*1「SNSのアルゴリズム」:SNSはユーザーの関心を引き続けるため、過去に「いいね」やシェアをしたコンテンツに似た投稿を優先的に表示します。その結果、ユーザーは自分が興味を持つ、または同意できる情報だけを目にすることが多くなります。
*2「フィルターバブル」:インターネット上で、アルゴリズムによって個人の嗜好や関心に基づいて接触情報が最適化された結果、偏った情報や特定の視点だけに囲まれた状態を指します。2011年にエリ・パリサー(Eli Pariser)氏が提唱した概念です。
*3「エコーチェンバー効果」:同じ意見や価値観を持つ人々が集まり、その中で情報を共有し合うことで、自分たちの考えが「正しい」と感じやすくなる効果を指します。異なる意見や視点に触れる機会が減り、自分の考えが強化されるサイクルが生まれます。
*4「成長を阻む無意識バイアス 囲碁ではAIの指導で女子上達(山口慎太郎・東京大学教授)」:日本経済新聞リンク