(前回からの続き)
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AGIの登場により自由時間が増えれば、人間は「人間にしかできないこと」に特化できるようになるはずです。それがケインズの言う「人間は野に咲く百合のような存在になる」ということなのでしょう。それでは「人間にしかできないこと」とは何でしょうか?
結論から言えば、私は次の「3つの領域」にあると考えます。
1. 内面(自己と向き合う領域)
-人生の意味の探求や、それを元にした自己表現(芸術作品など)
2. 社会(他者と関わる領域)
-深い感情的交流や共感、それに基づく社会的貢献
3. 探索(未知の体験を追求する領域)
-新しい場所、文化、知識との出会いによる幸福感や、集団的祝祭や文化の共有

■人間と労働の歴史を遡る
この答えを見つけるために、歴史を振り返ってみました。「人間にしかできないこと」のヒントがそこに隠されているのではないかと考えたのです。
現代の長時間労働は産業革命以降に始まったものです。↓
○産業革命時代(18〜19世紀)
- 工場労働の広がりに伴い、労働時間は急激に増加。1日12〜16時間働くことが一般的に。
- 子供や女性も長時間労働を強いられ、過労死や健康被害が社会問題化。
産業革命前は、労働時間は長かったものの、現代の過労のような働き方は少なかったようです(東西問わず)。↓
○工業化以前の都市労働者(中世〜18世紀頃)
- 都市に住む職人や商人は日の出から日没まで働くのが一般的(夏は10時間程度、冬は6時間程度)。
- ギルド制度がある場合は、労働時間の規制があった。
○日本の江戸時代(1603〜1868年)
- 農民:農閑期には労働時間が短く、繁忙期は日の出から日没まで(10〜12時間)。
- 武士:労働時間は4〜6時間程度で、非番の日には剣術や読書、趣味の時間を過ごすことができた。
- 町人:季節や需要によって異なるが、8〜10時間が一般的。ただ、現代とは異なり、時間の流れが「ゆっくり」と感じられた文化があり、長時間労働という概念は希薄だったと考えらる。休みの日には仲間と茶屋や芝居見物などを楽しむ時間を確保していた。
- 武士や町人には、五節句(人日の節句、端午の節句など)や月次祭(日蓮宗や神道の行事)、お盆など、共通する休みが年に70〜100日程度あった。これに加え、商人や職人の多くは「吉日・仏滅」などの暦を気にして仕事を調整していた。
まだまだ遡ります。↓
○農耕社会(紀元前8000年頃〜中世)
- 季節や作物に応じて労働時間が変動。農閑期には自由時間が多かった。
- 中世ヨーロッパでは、年間約1/3(100日程度)が祭日や祝日に当てられていた。
更に、1万年前まで遡ってみます。↓
○狩猟採集社会(約1万年前以前)
- 必要な食糧を得るために狩猟や採集に費やしていた時間は、1~2時間程度。道具の製作や料理の準備を含めると4時間程度だった。残りの時間は、以下のような活動に充てていたと考えられる。
- 社交活動
・会話と物語の共有:集落内での会話や物語の語り合いが、情報交換や娯楽の一環として重要な役割を果たしていた。これにより、知識の伝達や社会的絆の強化が行われていた。
・歌唱と音楽:多声音楽や民謡などの音楽活動が、共同体の連帯感を高める手段として広く行われていた。 - 文化活動
・舞踊:儀式や祝祭の際に踊りが行われ、これらは精神的な儀礼や娯楽としての役割を持っていた。
・工芸:道具や装飾品の製作は、実用性だけでなく、美的表現や文化的アイデンティティの表現としても重要だった。
・教育:子供たちは遊びや模倣を通じて、狩猟や採集の技術、社会のルール、文化的価値観を学んだ。
- これらの活動を通じて、狩猟採集民はコミュニティ内の絆を深め、文化の継承や個々の役割の確認を行っていたと考えられる。
遡れば遡るほど、人間の(本質的な)在り方、「人間にしかできないこと」が見えてくるように感じられます。
■「本来の人間」と現代人の対比
狩猟採集社会の人々(ここでは思い切って「本来の人間」と表現します)が持つ特徴を、現代人と比較してみましょう。これにより、現代人が忘れてしまった人間の(本質的な)在り方に、近づくことができ、「人間にしかできないこと」が明確化できるはずです。
- 自然との一体感
・本来の人間:人間は自然の一部であり、自然崇拝やアニミズムを通じて生命全体を敬った。
・現代の人間:自然を管理や利用の対象とし、人間が自然の一部である感覚を失っている。 - 人生の意味の理解
・本来の人間:儀式や祭礼を通じて、生命や宇宙の神秘に向き合い、人生の意味を見出していた。
・現代の人間:日常生活に追われ、人生の目的や意味について考える機会が少ない。そして宗教はなぜか悪者に。 - 自己表現
・本来の人間:洞窟壁画や身体装飾、舞踊などを通じて創造性を発揮していた。
・現代の人間:評価や成果を気にしすぎ、自由な創造的活動が減少している。 - 深い人間関係
・本来の人間:共同体での生活を基盤とし、食料や物資を共有することで深い信頼関係を築いていた。
・現代の人間:顔の見えるコミュニティが希薄化し、浅いデジタル上のつながりが増加。 - 感情的な交流
・本来の人間:儀式や共同作業を通じて、深い感情的なつながりや絆を強化していた。
・現代の人間:感情的な交流や他者との共感が薄れ、孤独感が増大。 - 共同体意識
・本来の人間:個人の行動は共同体の生存や幸福に直結しており、助け合いと協力が日常的だった。
・現代の人間:個人主義が強調され、集団全体のために働く意識が弱まっている。 - 未知の自然に対する感覚
・本来の人間:未知の狩場や資源を探すことが生活そのものであり、常に自然と向き合っていた。
・現代の人間:自然が管理の対象となり、未知の冒険の対象として感じにくくなっている。 - 未知への純粋な冒険心
・本来の人間:狩猟や採集、移動の中で、新しい場所や経験への好奇心が生活に根付いていた。
・現代の人間:探索や冒険が消費や観光としてパッケージ化され、本質的な喜びが減少。 - 祝祭や文化の共有
・本来の人間:集団儀式や祭礼が重要で、踊りや歌、共同作業を通じて文化や喜びを共有していた。
・現代の人間:集団的な祝祭や儀式が減少し、個人主導の娯楽に偏っている。
これらの特徴は冒頭で挙げた「3つの領域」に次のように対応します。
①~③:1.内面(自己と向き合う領域)
④~⑥:2.社会(他者と関わる領域)
⑦~⑨:3.探索(未知の体験を追求する領域)

■物理的幸福から精神的幸福へ
これら「3つの領域」はいずれも精神的幸福を追求するものです。「人間にしかできないこと」とは、すなわち精神的幸福を求める営みなのです。
産業革命以降、物質的幸福を追求してきた私たちは、その過程で「人間らしさ」を見失ったのではないでしょうか。車が欲しい、時計が欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい…物質的欲望の無限性が、私たちから大切なものを奪ってしまったのかもしれません。しかし、AGIの登場により、我々は物質的幸福の呪縛から解き放たれ、精神的幸福へとその価値観を転換できる可能性が高まるのです。人間が人間に戻ることができる、おそらく最後のチャンスではないでしょうか。
精神的幸福追求の時間を手に入れ(「人間にしかできないこと」に特化して行き)、ケインズの言う「野に咲く百合のような存在」に人間がなる未来。常にその明るい具体像を描きながら、逆算して今やるべきことを着実にやって行きたいと考えています。
BBDF 藤本