私たちは日々、さまざまな「選択」をしながら生きています。そして、その選択は必ずしも自分ひとりだけで完結するわけではありません。
買い物をする時、誰かと協力して仕事を進める時、あるいは競争相手がいるようなビジネスの場面において、他の人の行動や判断が自分の利益や結果に影響を与えていることが多々あります。
このように、「自分の行動が他人に影響し、同時に他人の行動が自分に影響を与える」という状況を分析し、最適な判断を導くための考え方、つまり駆け引きや競争・協力の戦略を考える「ゲーム理論」という概念があります。数学と経済学の知見が融合して誕生した、非常に強力な分析手法です。
誰かと協力する、競争する、駆け引きする、そのような場面で最適な行動を考える時、この理論が大いに役立ちます。
「ゲーム理論」とは
「ゲーム」と言っても、スポーツやボードゲームとは無関係で、広い意味での「駆け引き」や「戦略的な状況」のことを指しています。例えば、会社同士の価格競争や、国同士の外交交渉などが、この「ゲーム」に該当します。ゲーム理論は、こうした場面でプレイヤー(個人だけでなく、企業や国家など)が、どんな選択をするべきかを分析し、説明しようとする学問です。
この「ゲーム理論」では、数学を使って論理的に分析を行います。プレイヤーが持つ選択肢、それによって得られる利益や損失、他のプレイヤーの行動を予測しながら「最適な戦略」を考えるのが基本です。
「ゲーム理論」確立の過程
- 創始者はジョン・フォン・ノイマン
1928に、ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)というハンガリー出身の数学者が「ゲーム理論」の基本概念を発表しました。「ミニマックス定理」という戦略(勝負で損失を最小に抑える最適戦略)を数学的に証明したのです。当初はゼロサムゲーム(勝者と敗者の得点の合計がゼロ)に限定した理論でした。 - 理論の体系化
1944年に、フォン・ノイマンと、ドイツ出身の経済学者オスカー・モルゲンシュテルン(Oskar Morgenstern)が共著で「ゲームの理論と経済行動(Theory of Games and Economic Behavior」を出版し、経済学への応用を本格的に提示しました。「合理的なプレイヤーが戦略を選ぶ方法」を理論体系としてまとめたこの本の出版こそが、ゲーム理論誕生の瞬間です。つまり、ゲーム理論は、「数学」と「経済学」の交差点で生まれたものと言えます。 - 「ナッシュ均衡」の登場
映画『ビューティフル・マインド』で有名なアメリカの数学者、ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア(John Forbes Nash Jr.)が、1950年に論文 "Equilibrium Points in N-Person Games" の中で「ナッシュ均衡」という概念を発表します。これにより、「非ゼロサムゲーム」(勝ち負けだけじゃない状況)の分析が可能となり、協力・交渉・合意形成など、より複雑な現実の問題にゲーム理論が応用されることになりました。 - 発展と応用
1970年代には、繰り返しゲーム・協力ゲーム・進化ゲーム理論などが発展し、「ゲーム理論」は経済学、政治学、生物学、軍事戦略など、あらゆる分野で利用されるようになりました。ゲーム理論の研究者にはノーベル経済学賞も多く授与されており(*)、ナッシュも1994年に受賞しています。
代表的な例「囚人のジレンマ」
ゲーム理論の中でも特に有名な例が「囚人のジレンマ」です。ふたりの犯罪者が捕まり、別々に取り調べを受ける状況を想定したものです。
- お互いに協力して黙秘すれば、どちらも軽い罪で済みます(例えば1年の刑)。
- しかし、どちらかが相手を裏切って自白すると、自白した方は無罪放免され、黙っていた方は重罪になります(例えば10年の刑)。
- もし両方が裏切れば、両方とも中程度の刑を受けることになります(例えば5年の刑)。
ここで問題になるのは、お互いが相手の行動を信じきれず、自分の利益を守ろうとして裏切ってしまうと、結果として両方が損をする、という点です。
これは、「相手と協力すればもっと良い結果になるのに、お互いの不信感から最悪の結果を招いてしまう」という人間関係や組織、国家間の問題にも当てはまります。
「ナッシュ均衡」とは?
また、ゲーム理論には「ナッシュ均衡」という重要な考え方があります。これは「各プレイヤーが自分の選択を変えても、今以上に得や利益を得られない状態」のことです、つまり、全員が現状の戦略に納得していて、誰も一方的に戦略を変える必要がない均衡状態・安定状態のことを指します。
例1:デート
カップルがデートの行き先を決めます。彼は「サッカー観戦」に行きたいと言い、彼女は「コンサート」に行きたいと言います。ここでの選択肢は
① 2人でサッカー
② 2人でコンサート
③ バラバラに別行動
です。③だと意味がないので、どちらかが譲って、①か②に落ち着きます。これがナッシュ均衡です。どちらかが「勝手に別行動」を選んでも損なので、動かない=均衡します。お互いが「動かない理由がある」安定した状態がナッシュ均衡です。
例2:信号無視
みんなが交通ルールを守っていれば、交差点は安全ですが、その中で自分1人が信号無視をすれば「早く行ける」メリットが生まれます。しかし、みんなが無視すると「事故のリスク」が大きくなります。
「誰もが信号を守る」というのは一つの均衡ですが、「皆が守らない」と決めたなら、自分だけ守っても得はしません(安全でも遅くなります)。これもナッシュ均衡です。良い状態か悪い状態かに関わらず、「動いても改善しない安定状態」がナッシュ均衡です。
ナッシュ均衡は、必ずしも「全員がハッピー」な状態とは限りません。例えば、「囚人のジレンマ」で双方が裏切りを選ぶ場合も、ナッシュ均衡のひとつです。これは、「お互いに不信感から協力できない」という、いわば「不幸な安定状態」と言えるでしょう。
参考①:医療への「ゲーム理論」の応用
腎臓移植のマッチングシステムに、ゲーム理論・マッチング理論が応用されています。
腎臓は親族・配偶者などが提供する生体間移植が多いですが、血液型や組織適合性が合わないペアだとドナーになれないケースがあります。
例えば、「AさんはBさんに腎臓をあげたいけど相性が悪い」といったペアはたくさん存在しますが、それを「交換」することで、お互いに相性の良い組み合わせを探すことができます。
アルビン・ロス(Alvin Roth)はこの問題に、安定マッチング理論(Gale-Shapleyアルゴリズム)を使いました。安定的な交換ネットワークを作り、米国の全米腎臓交換ネットワーク(NEADチェーン)で実用化されたのです。
これにより、移植の成功率・件数は飛躍的に上昇しました。命を救うための「マッチング」をゲーム理論で最適化することで、社会全体の利益が最大化されたのです。
参考②:労働市場(就職・転職マッチング)への応用
例えば、フリーランスエンジニアのマッチングプラットフォームでは、企業とエンジニアのスキル・希望条件に基づく「安定マッチング型の推薦アルゴリズム」が使われているケースもあります。希望条件を偽らずに登録することで、最適なオファーが届きやすくなります。
また、大企業やスタートアップが、共同開発やアライアンス相手を探す際にも、「安定マッチング」理論に基づくマッチングサービスを使う動きが出ているようです。
ゲーム理論から読み解く、企業・組織運営
「囚人のジレンマ」の基本構造は、「お互いに協力すれば全体が良くなるのに、自分の利益を優先して裏切ることで、結果として全体が悪くなる」というものですが、企業や組織において、こういった現象はしばしば発生します。
○経営者と従業員の「相互依存関係」
組織は経営者だけが利益を生み出す場ではなく、経営者と従業員が相互に依存し合い、支え合うことにより成り立っています。
経営者は従業員の努力と能力を活かし、従業員はその対価として報酬や安定した環境を受け取る。このバランスの上に組織の健全性は保たれています。
しかし、一部の経営者(人的資本経営に興味・関心のない層)は、この「相互依存」の意味を理解せず、従業員を単なる「労働力」や「駒」としか見ていません。「給料を払っているのだから黙って働け」と考え、従業員からの意見や従業員の働きがいを、些事として等閑にし続けるのです。
その結果、従業員のやる気は削がれ、企業・組織は次第に疲弊していきます。相互依存の関係は一旦バランスが崩れると、組織全体に悪影響を及ぼします。
○企業・組織における「囚人のジレンマ」
「囚人のジレンマ」は、「協力」が全体最適をもたらすにもかかわらず、自己の利益を優先して相手を裏切ることで、結果的に双方にとって悪い結果になる、という典型的な問題を示しています。企業・組織においても同じで、経営者が自らの利益だけを追求し、従業員に利益や成果を還元しない場合、従業員は「協力するだけ損だ」と判断します。
例えば、業績が上がっているにもかかわらず「経営が厳しい」と言って昇給や賞与を渋り、自らは贅沢な生活を続ける経営者。その姿を見た従業員は、当然ながら「この会社に尽くしても自分には何の得もない」と考え、モチベーションを失います。
こうして相互の信頼は崩れ、「協力」という最適な選択肢が失われ、企業・組織全体のパフォーマンスが低下していく悪循環に陥ります。
○ナッシュ均衡と組織の停滞
ナッシュ均衡とは「誰も行動を変えようとしない安定状態」を意味します。
経営者と従業員の間で信頼が失われた場合、「誰も先に協力しようとしない状態」が続くことになります。
経営者は「従業員が努力しないから報酬は据え置きだ」と言い、従業員は「報酬が上がらないから努力しない」と言う。この悪循環(「不信の均衡」)が固定され、組織の活力は失われていくことになります。
「最近の若い社員は覇気がない」「指示しないと何もやらない」と愚痴をこぼす経営者ほど、自らのマネジメントの問題を見直さず、現場の士気低下を「人材の質」のせいにしていることが多いですが、それは経営者自身が「努力しても報われない環境」を作り出していることに他なりません。
そのことに気付かない限り、組織は停滞したままです。
○繰り返しゲームと「信頼の再構築」
ゲーム理論には「繰り返しゲーム」という視点もあります。一度きりの取引であれば「裏切り」は合理的でも、長期的な関係を前提とした繰り返しゲームでは「協力」が最適戦略となることが示されています。
誠実な経営者は、まず「信頼の積み重ね」を重視し、公正な報酬や従業員への敬意を惜しみません。それが、やがて組織全体の協力を引き出し、生産性を高めることに繋がります。
しかし、信頼を失った経営者は、手遅れになるまで自分の行動を変えません。
「裏切り続けてきたツケ」が回り、優秀な従業員は離れ、残されたのは経営者に忠誠を誓うイエスマンばかりとなります。
しかし、そのような環境では、健全な意見や創造的な提案は生まれず、組織の競争力は次第に衰退します。
「信頼を取り戻すのは容易ではない」という現実を、失敗する経営者は最後になって痛感するのです。
○経営者の「見て見ぬふり」が引き起こす組織崩壊
経営において「利他的な行動」や「協力関係の維持」は、理想論でも善意の話でもありません。
それは本来、組織の持続的な成長と安定のために、冷静かつ合理的な判断として求められる戦略です。
しかし、現実には、これを実行に移せない経営者が少なくありません。それは単に「自分さえ良ければいい」という短期志向ではなく、組織の複雑さや人間関係の難しさから目を背け、意思決定を放棄してしまうことによって引き起こされるのです。
経営者は本来、組織の「設計者」であり、「ルールの番人」です。その経営者が、問題を直視することを避け、見たくない事実を「なかったこと」にし、本来なら制御すべき権限を、都合のいい人間に無責任に委ねる。その結果、組織のルールは歪められ、公平性が失われます。
こうした場当たり的な裁量は、やがて「頑張る人ほど報われない」という歪んだ組織文化を生み、協力関係を破壊します。
例えば、現場の意見に耳を傾けることを「面倒臭い」と感じ、自ら現状を把握しようとせず、部下に実質的な運営を丸投げする経営者がいます。しかし、その部下は自分の利益や保身のためにルールを都合よく改変し、結果として現場は混乱し、誠実に働いていた人間が疲弊し、次々と離職していきます。経営者自身は「現場の人材不足が問題だ」「最近の人は根性がない」と原因をすり替え、ますます組織の崩壊を加速させる悪循環に陥ります。
これは、ゲーム理論でいう「繰り返しゲーム」の放棄、つまり「長期的な信頼関係の維持」という戦略を完全に忘れた状態です。
さらに言えば、ルールの不公平さによって、「合理的な行動を取れば取るほど損をする」という構造が生まれ、ナッシュ均衡さえも成立しなくなります。
この段階になると、もはや誰もゲームを続けようとは思わず、「組織から去る」という選択がもっとも合理的な解となります。
持続可能な経営のために
組織を存続させ、成長させるために最も重要なことは、経営者が「協力関係を築く姿勢」を貫くことです。
ダメな経営者は、短期的な損得勘定に囚われ、自ら信頼を切り捨てた結果、孤立と停滞を招きます。逆に、優れた経営者は、信頼と協力を通じて、組織を「しなやかで強い」存在に育て上げます。
ゲーム理論はその構造を明らかにし、「協力こそが最善の戦略である」という普遍的なメッセージを私たちに伝えています。
持続的な経営を実現するために、経営者がしなければならないのは、「都合の悪い現実」にも正面から向き合い、不公平を是正し、信頼に基づく協力関係を再構築することです。
それは決して「楽な選択」ではありません。しかし、「目を背け続ける怠慢」が、最も大きな代償を招くことを、ゲーム理論は冷徹に示しています。
ゲーム理論が教えるのは、戦略的合理性の先にある「協力の価値」です。会社・組織は経営者ひとりの力で動くものではありません。
信頼と協力による健全な関係性があってこそ、持続可能な経営が実現します。その点を踏まえた経営判断こそが、組織を繁栄に導く鍵となるでしょう。
BBDF 藤本
*ノーベル経済学賞を受賞したゲーム理論の研究者たち
- 1994年 非協力ゲーム理論への先駆的貢献に対して(非協力ゲーム理論と均衡理論)
ジョン・ナッシュ(John Nash)、ジョン・ハーサニ(John Harsanyi)、ラインハルト・ゼルテン(Reinhard Selten) - 2005年 協力と対立の分析、特にゲーム理論の発展への貢献に対して(繰り返しゲーム・戦略的行動)
ロバート・オーマン(Robert Aumann)、トーマス・シェリング(Thomas Schelling) - 2007年 メカニズムデザイン理論の確立に対して(メカニズムデザイン理論)
レオニード・フルビッツ(Leonid Hurwicz)、エリック・マスキン(Eric Maskin)、ロジャー・マイヤーソン(Roger Myerson) - 2012年 安定的な配分メカニズムとマーケットデザインの理論に対して(マッチング理論と市場設計)
アルビン・ロス(Alvin Roth)、ロイド・シャプレー(Lloyd Shapley) - 2014年 市場の力と規制に関する分析に対して(規制と産業組織論)
ジャン・ティロール(Jean Tirole) - 2020年 オークション理論の改良と新しいオークション形式の発明に対して(オークション理論と応用)
ポール・ミルグロム(Paul Milgrom)、ロバート・ウィルソン(Robert Wilson)